2015年9月17日木曜日

9月14日、息子と一緒にデモに参加する。



安全保障関連法案に反対する大規模集会に参加した。戦争反対を表明するいい機会だと思ったからだ。

大江健三郎さんの演説も、聞いてみたかった。最近話題のSEALDsも、主催に名を連ねている。

ところが、

国会議事堂にたどり着けない…。

道路にはすでに規制が掛かっており、警察は回り込んで道を渡れという。言われたとおり回り込んだらそこでも同じことを言われた。

これでは演説を聞くどころかデモにすら参加できない。

意を決して、強行突破した。

意外にもあっさりと警察の包囲網をかいくぐり、道を渡って国会議事堂に近づくことができた。

9才の息子と一緒だったので、慎重を期しながら前に進んだ。

沿道に設置されたスピーカーからは演説の音声が流れている。

国会議事堂に近づくにつれ道を埋めつくす人の数はどんどんと膨れ上がっていった。
やがて鮨詰め状態になるところまで進み、それ以上先に行けなくなったとき、はじめて事態の異常さに気がついた。

国会議事堂正門に向かう大きな通りを、端から端まで、すべて警察隊の装甲車が塞いでいるのだ。ご丁寧に一つ一つ結ばれたバリケードまで張り巡らされている。

先ほどから民衆の間で続いている「あけろ!あけろ!」のコールの意味がやっと分かった。

明らかに過剰警備だ。

無理やり歩道に押し込められたデモ参加者たちのフラストレーションは頂点に達していた。なんらかの事故の危険性は、警察隊による過剰警備のために、逆に増している。

やがてそこかしこでバリケードを突破する者たちが現れた。そうなると、勢いづいた民衆たちの波を、もう警察隊には押しとどめることができない。

別の場所にいた友人は、国会議事堂により近い演説台付近にいたためにデモ隊と警察隊との衝突はより激しく、圧死すら覚悟したという。





この日、4万5千人の人々が安部内閣の推し進める安全保障関連法案に反対するために国会議事堂を取り囲んだ。年配の方たちが多かった。伝え聞くところによれば子どもを連れた女性たちも多くいたという。若者やサラリーマンの姿は、残念ながらあまり見られなかった。

息子を抱えてバリケードを突破した。反対側から息子を抱きとめてくださる人がいた。落ちていたバッグを拾い上げて持ち主を探す人がいた。みな助け合いの精神に溢れた心優しいひとたちばかりだった。

晴れて道に出られたデモ参加者たちによる戦争法案廃案、強行採決反対、安部内閣退陣の声がこだまする。





でも、おそらくこの市民の声は安部首相には届いていないだろう。

以前に読んでいた安部総理の著した『美しい国へ』の中の、あるくだりを僕は思い出していた。

祖父である岸首相の膝の上に抱かれながら、当時岸内閣が推し進めていた60年安保法案に反対する総理官邸を取り囲んだ市民たちの抗議のシュプレヒコールを聞いていた安部少年は、一国の主として、国民の反対を押し切ってでも、日本を守るために正しい判断を下さなくてはならない時があるのだと、悟ったのだという。

祖父に完全に自身の身を重ね合ているだろう安部首相は、自分の考えに全く疑いを持っていないだろう。

今回の安保法案で衝撃的なのは、その内容もさることながら、むしろ強行に採決しようとする安部首相及び安部内閣のその強引な姿勢の方だ。NHKの世論調査によれば、実に45%の日本国民がこの法案に反対している。賛成はわずか19%にすぎない。この国は果たして民主主義国家だったのかと疑いたくなる。結局、民主主義は日本に根付かなかったということか…。こういう殿様政治の方がこの国民の気質には合っているのか…。

でも、安部首相よりももっと悪いのは、選挙に行かない日本国民である。

投票率がわずか30%足らずで果たして民意を反映したと言えるのか。
もし投票率が50%くらいあったとして、同じ議席数を自民党が獲得し安部首相が同じことをやっていたとしたら、多くの国民はそう望んだのだと納得できる。

もちろん、政治になんて興味がないから放っておいてほしいという人がいてもいい。そういう人とも僕は友だちになれる自信がある。自分にも同じような面はあるからだ。でも、有権者の70%が義務を果たさない国というのも相当に珍しい。若者の政治離れなどと軽々しく口にするが、あまりにも危機感が無さすぎる。戦争で死ぬのは安倍総理ではない。日本の若者なのである。

帰りの電車の中で息子に、

「で、これってどんな意味があるの?」

と聞かれた。

「え?…意味は、ないかもね。安部さんの考えは変わらないかもしれないし。…でもこうやって自分の声を上げることは大事なことだよ。関わり合うことが大事なの。…でも、ちょっと面白かったでしょ?」

安倍内閣の推し進める安全保障関連法案は、本日9月17日、もしくは明日9月18日をもって、国民の多数の反対を押し切って強行採決されるだろう。

さあ、自衛隊員の誰かが、日本を守るために、家族を守るために自衛隊に入隊した誰かが、自らとは直接的に関係のない理由で死んでいく時代が始まる。
集団的自衛権の行使によって、アメリカとの同盟関係を国際的に強調することによって、日本がテロの標的となるリスクは確実に高まった。
罪のない一般市民が死んでいく時代が始まる。
そういう時代に備えよう。

僕はこれからも、自分が信じていることを基準に行動していく。

君たちにも同じことを期待する。

自分を信じろ!

BELIEVE IN YOURSELF!





KOSMIC Official Website
http://www.shoshi-maimai.com/kosmic/

Facebook
https://www.facebook.com/maimairecords/timeline/

Twitter
https://twitter.com/spaceavailable_

YouTube
https://www.youtube.com/user/SPACEAVAILABLEMUSIC




2015年8月26日水曜日

8月19日、JHP・学校をつくる会訪問。

7月17日に開催されたカンボジア・チャリティ・ロックフェスでは、お越しいただいた皆さんのおかげで、当初の予想を遥かに上回る金額の支援金を集めることができました。

本当にありがとうございました。

チケット代、協賛金や募金などの総額が570,878円。
そこから場所代や運営費などを引いた金額が263,878円です。

皆さんからお預かりした支援金をいかに使うかについては、フェスを共に企画運営した幼なじみの二人、(株)インスパイアリング代表の増田博道さん(株)feem代表の中村美佐江さんと協議を重ねました。
当初予定していたのはノートとボールペンでしたが、それを購入する以上に多くの支援金が集まったからです。

悩んでいた中、ふと僕の心の中に深く入ってきたのは、第二次世界大戦後の日本で少年時代を送った70代の方からのお話でした。

「あの頃、何もない時代に、学校からスケッチブックと色鉛筆を支給された時は嬉しかった。いろんな色が入っていてね。モノクロの世界がカラーに変わったようでしたよ。自由を感じましたね。」

現在のカンボジアは、僕の印象では、日本の戦後が30年間続いているようなものです。
あのポルポト派の大虐殺により、知識人、文化人、教師たちが殺されてしまったことによって、カンボジアの復興は驚くほどに進んでいません。
復興の鍵は教育です。
カンボジア・チャリティ・ロックフェスというせっかく文化的なイベントを実現したのだから、子供たちにプレゼントする物も文化的な物であってほしいとも思いました。

そこで、子供たちにプレゼントするのは、バンティアイチャックレイ中学校に通う生徒全員分のスケッチブックと色鉛筆ではどうかと提案したところ、幼なじみの二人も賛成してくれました。

8月19日に訪れたJHP・学校をつくる会の方からも「情操教育になる」と言っていただき、いま物資の調達に動いてくださっています。





その他に学校に寄贈する物としては、本棚を何台かと辞書を中心とした書物、そして4つある教室の全室で飾れる分の額に入れた生徒全員の集合写真(と建設途中の新校舎の写真とを組み合わせた物)と、贈呈式で生徒全員で飛ばすジェット風船です。





9月8日、バンティアイチャックレイ中学校にて新校舎の贈呈式が行われます。
そこに、新曲を引っさげて、参加することになりました。



そうです。

またカンボジアに行ってきます。

カンボジアと日本を繋ぐような歌が出来たのです。

貧しい国に生きる人々の誰もが共感できるような、いや、裕福な国に生きる貧しい人たちも共感できるような、いや、今を生きる人間であれば誰もが共感できるような歌に仕上がったと思っています。

約400人ほどの子供たちと、式典に集まる関係者や来賓の方々たちの前で、エレキギター1本抱えて思いっきり歌ってきます。

その模様はビデオに収めて、後日YouTubeなどで発表する予定ですので、どうぞ期待して待っていてください。





それではまた。


ありがとうございました。

KOSMIC Official Website
http://www.shoshi-maimai.com/kosmic/

Facebook
https://www.facebook.com/maimairecords

Twitter
https://twitter.com/spaceavailable_

YouTube

https://www.youtube.com/user/SPACEAVAILABLEMUSIC

カンボジア学校建設支援活動「やくそく」プロジェクト
http://www.yakusoku-pj.com

2015年7月24日金曜日

カンボジア・チャリティ・ロックフェスvol.1 SUMMER 2015 in YOKOHAMA

まっすーとKOSMICとミサエ Photo:Michiyo Namura


まさかこんなかたちで横浜に戻って来られるとは、思ってもみなかった。

中学二年の時に転校して以来、横浜を訪れることは数年に一度、祖母を訪ねる時くらいのものだった。

その祖母も3年前に他界した。

同窓会に参加したこともない。
招待状が届くことはなかったが、たとえ受け取ったとしてもきっと参加しなかったろう。

二人の幼なじみとの26年ぶりの再会劇からはじまって、少しずつ計画を膨らませ、賛同者を募り、告知をしてきたこのチャリティフェス・イベント。蓋を開けてみればなんと165人もの人にお越しいただくことができた。

たった3人からはじまったことが、165人である。

まずは、出演者を集め、会場を紹介してくれ、賛同者を募ることに帆走し、広告を打つことにも余念のなかった幼なじみの一人、中村美佐江さんに感謝したい。

おつかれさまでした!

ミサエ Photo:Tomoko Arima


今回の出演者、MarcyさんMoconyさんは彼女が足しげくライブに通っているアーティストであり、多田沙織さんは彼女が経営しているレンタルドレスショップByMagic働いている。

美佐江さんが挙げた声に賛同してくれた民芸雑貨店HAYA-HAYの川初さんは、アクセサリーなどのこの日の売り上げをすべて支援金に回してくださった。現在カンボジアに在住の川初さんからは祝電もいただき、会場で読み上げられた

物販コーナーを担当してくれたByMagicの従業員メンバーたちにも、この場をお借りしてお礼を申し上げたい。

本当におつかれさまでした!


Photo:Daiki Hoshino


大好評だったヘナタトゥーのブースを出してくれたNayominさんは、売り上げをすべて支援金に回してくれただけでなく、会場で挨拶もしてくださった。


Photo:Daiki Hoshino


そして、もう一人の幼なじみ、増田博道(まっすー)。


まっすー Photo:Daiki Hoshino


彼がいなければ、そもそも何もスタートしていない。

「コズミの好きなようにやるといいよ」
それが、ぼくがこの企画を持っていった時に彼が言った言葉だ。

本当に好きなようにやらせてもらったよ。

「カンボジア・チャリティ・ロックフェス」は、増田博道が携わるカンボジアに学校を建設する活動マーケットトラスト「やくそく」プロジェクトをより多くの人に広めるために企画したイベントである。

フライヤーのデザインを担当したのは、ナムーラミチヨさんと中村ルミさん。






ナムーラさんには、会場に自作のカンボジア地図を貼り出したり、会場づくりの面でも力を貸していただいた。

お声を掛けるのが開催日間近であったにもかかわらず、こころよく出演を引き受けてくれたフリーアナウンサーの藤井裕子さんからは、演出の面でも有益なアドバイスをいろいろといただくことができた。


藤井裕子 Photo:Daiki Hoshino


スクリーンに流されるスライドショーを作成してくれたのは、カンボジア道中記のライターでもある星野大起さん。
ステージで演奏しながら見えるカンボジアの子どもたちの顔は、会場を埋め尽くすみなさんの顔とひとつになって、演奏者の胸を打った。

カンボジア視察旅行の際に同行してくれたJHP学校をつくる会の木村晋也さんからは、祝電とともに、カンボジア人音楽教師による国歌独唱を録音して送っていただいたので、会場のBGMでかけさせてもらった。

「カンボジアに行って子どもたちに音楽を教えたい!」と仰ってくれたミュージシャンMOTO-Gさんからの祝電もうれしかった。

会場である7th Avenueの中西さんは、本当に親身になってこのイベントをともに考えてくれるナイスガイで、いろいろな面でフォローしてくれた。

まるで漫才コンビのようなまっすーとたやまんの挨拶も楽しかった。


まっすーとたやまん Photo:Daiki Hoshino


そしてわき起こった狩野コールからの狩野さん登場。


まっすーと狩野さん Photo:Daiki Hoshino


狩野さんは言葉少ない中にもリアルなお人柄の滲み出る方だった。この日、ぼくははじめて狩野さんにお会いした。

「やくそく」プロジェクトは、狩野氏が娘とやくそくしたカンボジアに学校を建てようという夢を10年越しで実現したプロジェクトである。現在、二校目を検討中。

そして、出演者のみなさん。
多田沙織


多田沙織 Photo:Tomoko Arima


Mocony


Mocony Photo:Tomoko Arima


KOSMIC


KOSMIC  Photo:Daiki Hoshino


MIGHTY POPPA


MIGHTY POPPA  Photo:Daiki Hoshino


みなそれぞれに、それぞれの思いを抱いて見せてくれたパフォーマンスだったと思う。

みなさん、最高のステージをありがとうございました!

そして、なによりも、会場に集まってくれたみなさん。


Photo:Daiki Hoshino


この日の真の主役は、みなさんだったと思う。

横浜の地元パワー。凄まじかった。
あそこまで盛り上がれるオーディエンスを前に演奏できたことは、ミュージシャンとして感無量だった。

ご来場くださったみなさん、本当にどうもありがとうございました!


*みなさんからいただいたチケット代と募金箱に入れていただいたお金は、当初、バンティアイチャックレイ中学校に通う子どもたちの文房具を買うための費用にする予定だったが、予想を大きく上回り、5、6校分の文房具を買えそうな額にまでのぼった。もう一度どういうかたちで子どもたちを支援するのが一番いいのかを考えなおしたうえで、今回の支援金の正確な総額とともに、みなさんからお預かりしたお金の使い道について、また後日レポートしたいと思う。

この日、いくつもの曲が演奏された。
そして、最後に歌った「イマジン」のしめくくりは、

“And the world will live as one”

「世界はいつかひとつになるだろう」

である。

世界は、もちろん、ぼくらがあんなに楽しい夜を過ごしても、まだひとつにはなっていない。

でも、ぼくらはあの日、あそこで、かなり近いところまで行けたのではないだろうか。

思い返せば、ほんのひと時のできごとだった。
夢だったのかもしれないと思うほどだ。
最高の時間だった。
大変だったけど、やった甲斐はあった。

「カンボジア・チャリティ・ロックフェス」はこれで終わらない。
「ぼくたちの革命は、まだはじまったばかりだ」
第二回目は東京で開催する予定である。
第三回目は、横浜で一日野外フェスにする計画もある。
次回はぜひカンボジアの方々を会場に招待したいと思っている。

みなさん、第二回が開催された時には、ぜひまた足を運んでください。

そして、「やくそく」プロジェクトと「カンボジア・チャリティ・ロックフェス」をこれからもどうぞよろしくお願いします。

ありがとうございました。

1.
2.紫陽花
3.the rose (Bette Midler)
4.無責任
5.True or False

1 Time After Time / Cyndi Lauper
2 Story / AI
3 Heal the World / Michael Jackson

1 OL’ TOWN STREET PARADE
2 RADIO MOTHERSHIP
3 MIDNIGHT ZOO
4 SWEET TOUCH OF LOVE (Allen Tousaint)
5 OUT INTO SPACE
6 WHAT IS LIFE
7 QUESTIONS
8 MR. FREEDOM
9 (WHAT’S SO FUNNY ‘BOUT) PEACE, LOVE AND UNDERSTANDING (Nick Lowe)

1 Hot 'N' Nasty / HUMBLE PIE 
2 Separate Ways / JOURNEY
3 Ready For Love / BAD COMPANY
4 Bark At The Moon / OZZY OSBOURNE 
5 Bye Bye / BLUE MURDER
6 Dreams / VAN HALEN

2015年5月28日木曜日

カンボジア学校視察 5/26


カンボジアから帰って来ました。

首都プノンペンから田舎道を揺られること2時間、起伏のないカンボジア特有の真っ平らな大地の上にぽつんとプレイベン州バンティアイチャックレイ中学校はありました。門に向かって右側に古びた旧校舎、運動場を挟んで左側に、今まさに完成間近といった感じのぴかぴかの新校舎がありました。子供たちは運動場や教室の中にわらわらとたむろしています。

その300人ほどの子供たちが、われわれ「やくそく」プロジェクトチームが入場するとき、全員門の両側に並んで拍手で迎えてくれました。屈託のない子供たちの笑顔。異国人を目の当たりにして少し恥ずかしそう。でも、そこには新校舎を建ててくれた日本人への感謝の気持ちが滲み出ていました。花道を通り抜けたあと、何か込み上げてきてしまって、涙を乾かそうと上を向いたけれどカンボジアの空はどこまでの青くて広かった…。

「わたしたちは新校舎を作るためにベストを尽くしました。だから君たちも、君たちの勉強でベストを尽くしてください。」という「やくそく」プロジェクト事務局長田山正胤(まさつぐ)さん(たやまん)からのスピーチのあと、運動場のテーブルの上に椅子を置いた仮説ステージで「OUT INTO SPACE」とジョン・レノンの「IMAGINE」、2曲を歌いました。

その後、子供たちの中に入っていって歌ったり、ギターを弾いてみたい奴はいないか~!と無理やり持たせてみたりしました。すると、生徒たちの中から押し出されるようにして出てきたハンサムなひとりの少年がいました。

手には何の素材でできているか分からない自家製のピックを持っています。彼にギターを渡すと、ブルースのようなフォークのような何とも形容しがたいフレーズを弾きはじめました。これがなかなか上手い!君の曲なのか?それともカンボジアでは有名な曲なのか?と聞いても意味が通じません。英語の授業はやっていると聞いていたので、少しは言葉でコミュニケーションも取れるものと思っていましたが、学力が低いのかシャイなのか、何を言ってもニコ~っと笑ったり、友達どうしの間でクスクス笑ったりするだけ。きっと戦後日本の子供たちがアメリカ人をはじめて目の前にしたときもこんな感じだったかもしれません。

ハンサムボーイの奏でるギターにつられるようにして、どこからともなく響いてきた女の子の歌声があまりに美しかったので、その子をギター少年の隣に呼び寄せて何か一曲やってくれないかとリクエストしました。

「おめえ、あん曲唄えっか?」
「え~、でもあちし一番しか分からんけん...」

...わいわいがやがやにこにこと見守る子どもたち。


でも、どの曲もすごくいい感じではじまるのですが、残念ながら中途半端にすぐに終わってしまうのです。このあたりにカンボジアの音楽教育の水準の低さを感じました。というか、カンボジアには音楽教育はおろか美術の授業も含め、情操教育というものが皆無なのです。

テーブルの上から子どもたちに向かって歌ったとき、ぼくも精一杯歌いましたが、彼らも手拍子で応えようと必死で手を叩いてくれるのです。ですが、それが悲しくなるほどまるでてんでバラバラでまったくまとまらずメチャクチャなのです。そもそもリズムを合わすという感覚がない。訓練ができていない…。

もしかしたら、彼らに本当に必要だったのはぼくの「歌」ではなく、彼ら自身の「歌」だったのかもしれません。
一人のシンガーソングライターではなく、一人の音楽教師だったのでしょう。
ぼくではなく、ぼくのギターだったのです。

ぼくの歌などよりも、彼らのひとりひとりにギターを贈った方がよっぽど良かったのではないか、それが本当のボランティアではないか、と思いました。が、それを口にすると、同行して頂いたJHP・学校をつくる会の木村晋也さんから「それは甘やかしすぎです」と一笑に付されました。

ぼくが考えたのはこんなことです。

自分が何を感じているかを知り、それを伝え、自分の頭で考え、それを伝えることができるようになること。それが「教育」においてもっとも大事な根幹部分だと思っています。それができない子供たちは、やがて心で感じ頭の中で考えていることを諦めて、世の中に迎合していくことでしょう。

その世の中が、未来も何もない賄賂社会だったらどうしますか?

子どもたちが「夢」を諦めなければならない社会に、どうやって未来が期待できますか?

彼らが生きているのは「自分と自分の家族が食べていくこと」しか考えられない社会なのです。
そこには文化も、人権も、へったくれもありません。

夜中の11時すぎにストリートでゴミをあさっている子どもたちを見ました。
橋げたで物乞いをする少女を見ました。
観光地では、絵葉書やマグネットや服を売りに幼い子どもたちが絶えず観光客を取り囲んでいます。

バンティアイチャックレイ校に通える生徒たちは、まだ恵まれた方なのです。

今日も彼らは学校に登校しています。
それぞれの「希望」を胸に…。
それぞれの「夢」を胸に…。
きっと田山さんが望んだ通り、彼らのベストを尽くしていると願っています。

でもカンボジアの教育水準は低く、教師の数は足りていません。

それが現実なのです。

You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will live as one
    ーJohn Lennon ”IMAGINE”

君は僕のことを夢ばっかり見ているというだろうな
でも僕ひとりじゃないんだ
いつか君も加わってくれるといいな
そうしたら世界は一つになるはずさ

7/17 横浜は横浜スタジアムすぐ脇にある老舗ライブハウス 7th Avenueにて「カンボジア・チャリティ・ロックフェス vol.1」が開催されます。出演者はKOSMICを含めて計4組、他にも民芸品店HAYA-HAYやメヘンディアートのSalon Puruanaのブースショップも出たり、異国カンボジアを知り、世界を少しだけ広げていただくためのきっかけの場となればと思っています。旅の報告もあります。チーム「やくそく」プロジェクトからの挨拶の言葉もあります。もちろんKOSMICは今まで通りの最高のロックショーをやりますし、MIGHTY POPPAも最高です。みなさんでこの夜を特別な夜にしましょう!詳細は決まり次第、順次お伝えしていきます。

愛と音楽とわずかなマネーで、世界は変えられる!

カンボジアに興味を持った。カンボジアにちょっと行ってみたい気分になった。と思ってもらえるだけで、わたしたちは幸せです。

「ぼくたちの革命は、まだ始まったばかりだ」

ともに変化の風を起こしましょう!
そしてその風をともに感じ合いましょう!

ありがとうございました。

マーケットトラスト 学校建設支援活動「やくそく」プロジェクト

同行した中村美佐江による「カンボジア渡航記」

KOSMIC Official Website
http://www.shoshi-maimai.com/kosmic/

2015年2月3日火曜日

同窓会のようになった、1月22日の代々木Zher the ZOOでのライブ。

代々木Zher the ZOOにポスターを貼って頂きました




人生、生きていると素敵なことが起こるものです。

1月22日、代々木Zher The ZOOで行われたKOSMICのライブには、生まれ育った横浜の小学校、中学校の同級生たち6人が訪ねてきてくれました。きっかけは、当時恋仲だったこともある一人の女性からメッセージが届いたことに端を発します。

ある日、Facebookを開いてみると懐かしい名前が!
彼女によれば、別のもう一人の同級生が僕のことをネットで調べてくれていて、二人で会った時にYouTubeに上がっているKOSMICのPVやライブ動画を見たというのです。そのもう一人の同級生というのは、当時もっとも仲が良かったと言っていい親友でした。その二人が、ライブのために他の同級生たちにも連絡を取ってくれたのです。今となっては住んでいる所もバラバラの6名が、この日のために集まってくれました。

こんな素敵なことって起こるのでしょうか?

僕は中学2年の時に転校してしまったので、彼らと顔を合わせるのは実に26年ぶり。素敵、を通りこして、会う前にはもう怖いくらいになっていました。でも、演奏が始まるとみんな大いに盛り上がってくれました。

ライブ終了後、しばらく歓談しましたが、さすがに26年の年月を埋めるほど深い話もできず、また会う約束をして、別れました。

26年の歳月を経て、子供時代の親友と好きだった子が懐かしい顔を引き連れて会いに来てくれたのですから、こんなに素晴らしいことはありません。
音楽を続けてきてよかったと心から思いました。
音楽をやっていなかったら、彼が僕を見つけてくれることもなかったでしょう。
彼女が僕に連絡をくれることもなかったでしょう。

これぞ音楽の力なのだと思います。
音楽には、人を束ねる力があるのです。

これからも音楽を信じて生きていこうと思いました。
そして、やっと再会できた彼らとのこれからの親交も楽しみです。

ありがとうございました。